都市に住むこと、田舎に住むこと
利便性の高い都市に住むのか。
自然に溢れた田舎に住むのか。
一体全体、何がその選択の決め手となっているのだろうか。
まわりがそうだから、都市に住んでいる。
仕事の都合もあるかもしれない。
いやいや、都市にも自然はたくさんあるよという意見もあるかもしれない。
それは昔の話で、田舎も最近は便利になったよと。
きっと、様々な言い分があるはずである。
もしかすると、周囲の環境が今の選択を決定させているのかもしれない。
とはいっても、そもそもの社会経済のスピードが異なるため、流れている時間はまるで違う。果たして、価値観が違うという一言で済ましてよいのだろうか。
一方は、時間を消費し、もう片方は時間を蓄えている。
時を追うのか、時を待つのか。
間が無いのか、間が有るのか。
虎視眈々と流れている時間の価値を見極めて、それぞれの一瞬を掌握し、両者を分け隔つ感覚を、そっと遠くから眺めてみる。
両者に共通することは何か。
重要な要素は何か。
なぜ選んだのか。
結論は、どっちも必要。
ただ単に、どちらに重きを置くかといった点が異なるだけに過ぎない。どうにせよ、結局は良い塩梅になるようにしかならない。重要なのはバランス感覚である。
一体、何によってその繊細な線引きが行われているのか。
個々人の価値観。
人生観。自然観。生活観。歴史観。
大海原でさえ狭いと感じる人もいる。
地球を見て小さいと感じる人もいる。
たった一輪の生花に森羅万象を感じる人もいる。
視点の切り口はいくらでも考えられる。
ただ、どれも文脈がある。
時間の流れがあってこその価値観であって、それ単体では価値観など有り得ない。
その基準となる線引きのラインは、いつの時点か。ということで必ずなんらかの違い、ズレがあるはずである。
対立する両者は交わることがなく、常にアンヴィヴァレントな状態が保たれている。
絶え間なく変化し、保たれる、動的平衡。
結局のところ、本質は変わらず表裏一体のものであるため、その表面的な言い回しが変わっているだけに過ぎないが、その先に一体どこに行き着くのか。
いつも同じ思考をしているはずなのに、違う結果になるのは環境が変わったからなのか。自分が変わったからなのか。