madorismの間取りをつくる建築家
原宏佑(はらこうすけ)
鎌倉市在住の建築家。

関東近辺で約3年の土地探しを経て、30代で北鎌倉に自邸を建築。家づくりを通して、物件探しに大ハマり、今でも鎌倉の物件情報に目がない。「鎌倉で次住むならここが一番だ!」を探し続けて、さすがに2軒目は自身では難しいので、誰かに実現してほしいと心から思い、間取りにストーリーを込めて日々作成している。

Live in Tokyo_東京の住み心地

東京に住むことは、東京に住んだことのない人にとっては、これまでにない情報の波に飲み込まれることかもしれない。

「波にのるか、のまれるか。」

「絶対に必要だと決め付けていること」「自分には不必要だと無視していること」それらの価値観を揺さぶるエネルギーが東京にはある。

多くのことを知らず、時間を費やしていることもあるだろう。
ある人にとっては様々な経験のもと行動を起こしているのかもしれない。

自らのアクションに対して残酷に応えてくれる都市が東京だろう。
良いものは良いし、良くないものにはそれ相応の反応をする。まるで都市が生き物のようにその時の、最適解を出す。それは素直な都市の判断であり、素直に受け止めるべきである。

京都と東京を比べた時に何を感じたのか。

「京都には目に見える地形がある。」
「東京には目に見えない地形がある。」

その地形の差が今、明確に現れつつある。

これはおそらく、建築を学んできた人間がどこかで聞いたことのある解釈のひとつである。そういったことを言ってもあまり生産的ではないし、それがなにかを生み出していると明確に納得できるものではない。

ただ東京は均質に向かいつつある。どの駅に降りても均質なものを手に入れることができる。
駅前にはスーパーマーケットがあり、生活に必要なものを手に入れることができる。駅前は東京の都心で働く人の都合の良いように更新されてきた。それは大多数の人々の働き方に対する最適解であり、人口増加に伴い駅前がそのように変化していくのは自然なように思える。

東京は実は地形が豊かで、微地形によって様々な場所が生まれているとも言えるが、一般的な人々にとって、特に都心で働く人にとって、地形などは存在していない。

その答えが今の都市開発の現状である。
鉄道会社の線路、駅の構成を見るとその状況はより理解しやすいものとなっている。

山手線をみてみると、昔の名残を残しつつも、駅前の空間は均質化が計られている。都市の構造は東北、北越、信越、西東京、東海からの玄関口としてのターミナル(上野、池袋、新宿、渋谷、品川)がまず存在し、その他は私鉄のターミナルが点在しているといった感じであろうか。

そうはいっても均質なのは駅前のほんの一握りの場所だけであり、特化している分野は実はまったく異なる。

それははるか昔の江戸幕府の頃からそう大きく変わってはいない。このことは東京の微地形がその場所を繁栄させているのかもしれない。地形的に道として有利だったこともある。
各地の特産物にも偏りがあっただろうし、様々な要因がそれぞれの駅前空間をかたちづくってきたはずである。

しかし、今は様々な機械や移動手段を得ている。現代だからこそ可能な生活を東京に住む大多数の人は求めている。

その一方で京都はどうなのか。

答えは否、均質になることはない。
それは歴史的な長いヒエラルキーが大きな影響を及ぼしている。大きな影響と言っても普通の人にとって生活に支障は及ばない。
洛中洛外図という屏風絵がある。京都には洛中と洛外という区別がある。京都にももちろん東京のようなターミナルのような場所は存在している。ただそのターミナルは京都が山々に囲まれているため、その場所ごとで大きく発展することはなかった。というより京都の中心はひとつと決まっていたからである。京都自体が天皇のための京都御所を中心とした公家の街であるからだ。

東京には公家の街はない。しかし、京都には公家の街がある。それが大きな違いであろう。

そんなことは大したことはないと思う方もいるかもしれないが、昔の生活の中で貴族階級の人というのは特別な存在で(今もそれは変わりはないが誤解がないように伝えたい)まちの作り方そのものに影響を与えるようなものであったはずである。

そのこともあり京都と東京は下記のような都市構造となっていると考えられる。

「京都は二重三重構造となっている。」
「東京は都市が分散構造となっている。」

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