madorismの間取りをつくる建築家
原宏佑(はらこうすけ)
鎌倉市在住の建築家。

関東近辺で約3年の土地探しを経て、30代で北鎌倉に自邸を建築。家づくりを通して、物件探しに大ハマり、今でも鎌倉の物件情報に目がない。「鎌倉で次住むならここが一番だ!」を探し続けて、さすがに2軒目は自身では難しいので、誰かに実現してほしいと心から思い、間取りにストーリーを込めて日々作成している。

光を捉える(直接光、間接光)、建築の成り立ち

わたしたちの生活の中で光(太陽光、自然光)とはどういった存在なのだろうか。

どう光を捉え、どう感じているのか。

太陽から直に、光が届けられる場合は直接光。

ある物質に反射して、間接的に光を感じる場合は、間接光。

個人的は直接光はどちらかというと苦手で、柔らかな光の間接光を好む。

しかしながら、時間を強く感じるということでいうと、直接光の強弱のある陰翳も捨て難いとも言える。

1年を通して、季節や時間帯によって、表情を変化させる光。建築の空間にとっても欠かすことのできない要素である。そ

住宅において、光を考えることは暮らしのベースを整えることであり、環境エネルギーに配慮することでもある。

省エネが謳われる昨今において、照明の節電、空調負荷の低減は欠かすことのできない課題である。

光は取り入れすぎても良くないし、取り入れなさすぎても良くない。ちょうど良い塩梅が良い。

普段の暮らしの中で光について考える機会は意外と少なく。
光そのものについて思考を巡らしたり、意識する必要はほとんどない。

建築の中で光は他の要素とは一線を画し、目に見える太陽光の動きを捉えるのが、古代よりの建築の主題であったようにも思える。

遥か昔、建築の成り立ちを振り返ってみたい。

ピラミッドやギリシア神殿や教会などはシンボリックな形態をとっている。そして、どの建物も光を可視化する建築的な回答になっている。

もしかすると、建築は光を捉えることで進化し続けてきたのかもしれない。

建築は光の質によって、歴史的な位置付けを語ることができて、光でしか建築というものは語ることはできないのかもしれない。

仮にそうだとしたら、普段目にする単調な住宅群の窓が不思議でならない。なぜ太陽を素直に捉えることをせず、無意味に計画されているのだろうか。

本当に光を得るための窓としてふさわしい形なのかを考えることによって、光の根源的なところから、どこか価値のある建築が生まれていくに違いない。

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