madorismの間取りをつくる建築家
原宏佑(はらこうすけ)
鎌倉市在住の建築家。

関東近辺で約3年の土地探しを経て、30代で北鎌倉に自邸を建築。家づくりを通して、物件探しに大ハマり、今でも鎌倉の物件情報に目がない。「鎌倉で次住むならここが一番だ!」を探し続けて、さすがに2軒目は自身では難しいので、誰かに実現してほしいと心から思い、間取りにストーリーを込めて日々作成している。

三養荘_Sanyo-so|建築家・村野藤吾による日本庭園に佇む現代の数寄屋建築(数々の意匠・図案)

三養荘(伊豆の国市)の新館は建築家・村野藤吾氏の設計による数寄屋建築。90歳を過ぎてからの最晩年の作品、随所に伝統的でありながらも様式を超えた意匠を見ることができる貴重な建築。

敷地内は広大、かつ庭園の地形をそのまま残し、室内にいながらも、緩やかな坂道、庭園・池との関係を感じることができる。

各客室の縁側は庭園が一面に広がるだけでなく、家具・照明などをじっくりと楽しめる空間に仕上がっている。

もともとは昭和4年、旧三菱財閥の創始者岩崎弥太郎氏の長男久彌氏の別邸として、 京都の庭師「小川治兵衛」の手による壮大な日本庭園(池泉式庭園)の中に、数寄屋造りの建物が数棟建築されていました。

庭園の中に建築をつくるという訳なので、普通に新築を建築するのとは訳が違う。しかも小川治兵衛の庭園に対して建築を考えるとなると、それは慎重に検討を重ねたに違いない。

だからこそ、三養荘は庭園(小川治兵衛)の記憶であるアンジュレーション(土地の起伏)を限りなく残すように、木々の間を縫うように分散して建物の配置計画を設計したのだろう。

その代償として、ホテルのオペレーションとしては非効率になってしまうが、各客室が半独立することによって、プライバシーに配慮された自然と一体的なラグジュアリー空間が実現しているとも言える。

さらに建物のヴォリュームを抑えるため平屋とし、お辞儀をするように低く柔らかな屋根(民家のような)を考えたのだろうと思われる。あたかも、ずっと前からそこに建っていたかのように思えるその建ち振る舞いは、建物のファサード(外観)に落ち着いた印象を与えている。

外観の落ち着きとはうってかわり、内装は様々な意匠が拘りに、拘りを込めて設計されている。

格式高い格天井、そして吊り下げられた和風照明。障子戸の桟を様々な形で構成し、その場の雰囲気に合わせること。

そのどれもが、モダンかつ和風・伝統に近しいものとして親しみがあり、新しいデザインを見つけるたびに嬉しくなる。

エントランスから大広間へ続く長い渡り廊下は、まるで庭を歩いているような感覚になる。
窓から見える、立派な石垣や滝、水の流れる音。そして、この石積みを渡り廊下の最終地点で、あえて見えるように設計していると思われる。ここは城かとおもえるほど贅沢な石積み。これを計画できた、という時代が素晴らしい。

渡り廊下は起伏に沿って窓の位置が、一段そして、また一段と高くなっていく。退屈になりがちなスロープにリズムを生み出し、さらに外に見える庭園の滝とドラマッチックに出会うことができる。

「三養荘」とは、岩崎家の家訓とされていた蘇東坡(そとうば)の「三養訓」に由来するもので、岩崎家の別邸当時から呼ばれていた名称`がそのまま継承されています。

DATA

三養荘/Sanyo-so

【Type】建築/Architecture
【Sort】旅館/Japanese hotel
【Site】〒410-2204 静岡県伊豆の国市 ままの上270
【Architect】村野藤吾/Tohgo Murano

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