madorismの間取りをつくる建築家
原宏佑(はらこうすけ)
鎌倉市在住の建築家。

関東近辺で約3年の土地探しを経て、30代で北鎌倉に自邸を建築。家づくりを通して、物件探しに大ハマり、今でも鎌倉の物件情報に目がない。「鎌倉で次住むならここが一番だ!」を探し続けて、さすがに2軒目は自身では難しいので、誰かに実現してほしいと心から思い、間取りにストーリーを込めて日々作成している。

糺の森の意味・記憶・空気感・歴史

再考 | 糺の森(ただすのもり)の意味について一から考え直してみた。

この森は下鴨神社そのものであり、京都で千年以上も信仰の対象となってきた、最も澄みきっている場所である。

  • 深い森の参道
  • 原生林の姿
  • 森の変遷
  • 森はどうあるべきなのか
  • 森はどこにあったのか、どこに残っているのか
  • 森の本来の姿とは

賀茂御祖神社(下鴨神社)の糺の森には、4つの小川が流れている。

  1. 泉川
  2. 御手洗川
  3. 奈良の小川
  4. 瀬見の小川

・高野川の支流である①泉川は糺の森の東を流れている。
・御手洗池を水源とする②御手洗川は、泉川の支流と合流して③奈良の小川となる。
・④瀬見の小川は賀茂(鴨)川の支流で、奈良殿橋を下ったあたりで③奈良の小川と合流する。

糺の森は京都の水源の集積地である。

広大な森が形成され
南北を貫く長い参道は糺の森を象徴する奥行が感じられる空間である。

こんな施設あったらいいな。糺の森美術館

1 | DO NOT FORGET | 糺の森の記憶

遺された感覚

残された場所

糺の森の記憶を振り返ってみると、かつてこの下鴨の一帯を占めていた広大な神々の森が思い浮かんでくる。
賀茂川と高野側に挟まれた三角州となっている場所一帯が昔森であったのは過去の文献から読み取ることができ、歴史的に京都にとって森の存在が重要なものであったことがわかる。
洛中洛外という考え方が未だ京都に深く根付いているが、下鴨は洛中に限りなく近い場所でありながら、洛外としての憩いの場所であったに違いない。

階級というものを超えた、ちょっとした貴族の隠れ家のような場所のイメージが糺の森の原点なのではないかと思う。

洛中洛外という隔たりを超えているといった意味でオープンな場所でありながら、森としての透き通ったイメージのある場所。原生林としての自然を感じられる都会の公園のような場所であったのかもしれない。

ある人にとっては鴨川の上流にあり、京都に豊かな水をもたらす、神聖な場所として考えられていたのかもしれないし。また貴族にとっては公園のような気軽さのある場所として位置付けられていたのかもしれない。

2 | ORIGIN OF TADASU | “糺”の起源・由来について

“糺”の由来は、さまざまに伝えられている。

賀茂川と高野川の合流点に河合神社が鎮座し、「延喜式」に鴨川合坐小社宅神社と収載するその古称が象徴するように、賀茂御祖神社そのものが水の祭りと深い関わりをもつ古社のなかの古社であった。
糺の森の「ただす」については多多須玉依姫の神名や偽りを糺すの「タダス」に由来するとの説のほか、「直澄」-浮島の直澄の里、清らかな泉の湧き出ている州が「ただす」となったと伝えられ、古くは鴨川の下流、淀川水系の人々にとって遥か上流の浮島の直澄が水源地として信仰されていた。

その他に、地形的な名称の「只州」蓼が群生しているところの意味での「蓼巣」。

正邪を糾す清浄地であったがため「ただす」の名がついたとの伝承もある。

どちらにせよ、あまり人が寄り付かないようなイメージの場所であることは間違いなさそうである。

神聖なイメージと辺鄙な場所のどちらにも捉えられており、それが実際に近くに住んでいるひとの感覚と、離れたところに住んでいる人の捉え方の違いかもしれない。

多くの捉え方をされていたということは、それだけ認知が広まっていたという証拠かもしれない。

3 | UNDERGO A CHANGE | 古地図をもとに慶長から現代まで、変遷を辿る

様々な起源をもつ”糺の森”ではあるが、時代ごとに様々な変遷があったことが、過去の地図から読み取ることができる。

地図上に描かれている糺の森が、まちの人々にとってどのような存在であったか変遷を辿ることによって明らかになってくる。

京都の人々にとって、糺の森という広大な森が信仰の対象であり、下鴨神社は森を護るための社として建立されたていた。

近年、下鴨神社の敷地にマンションが建つ計画があり賛否両々あるが、ひと昔前の明治期に多くの木々は伐採されているし、そのことに比べると度合いは小さいのかもしれない。
ただ、心配されるのは森の精神は人々に残っているのかということ。

そこが問いただされるべきなのに、なかなか浮き彫りにならない現状は、真の意味で森の価値を感じられていないからではないかと思う。

開国の時代、明治に文明開化と引換えに、失ってしまった”森の精神”。開かれた森は再びそのベールを取り戻すことはないのか。都市の中に埋もれ縮小していくのか。

同様のことはすでに京都各地で起こっているし、豊かな暮らしについてもう一度考える必要があるのではないかと、考えずにはいられない。

下鴨神社の例だけでなく、私たちの生活のなかでも、どこかでかつてのそういった意識が薄れてしまっているのかもしれない。

4 | OLD SCENERY | 糺の森今昔・豊かな水と森のつながり

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